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加悦SL広場に行こう
■その2 戦前製の車両たち 【京都府】 |
次は明治の車両ほど古くないけど、大正〜昭和初期の車両を。
まず初めは車体の前後にデッキが付いたキハユニ51。

この車両は広島県の芸備鉄道(現在のJR芸備線)キハユニ18として1936年(昭和11年)に製造、翌年には国有化されキハユニ40921になった。
国鉄時代には戦後の一時期、下関駅の詰所として使われたそうだ。
1952年(昭和27年)に山口県の船木鉄道に払い下げ(→キハニ51)。
1961年(昭和36年)、船木鉄道の廃線で加悦鉄道にやってきた(→キハ51)。

運転席の後ろは路線バスのような簡単な仕切りがあるだけ。
収められている広告はいつのものだろう。

運転席のハンドル類も現代のものと趣が違う。
メーター類だけは新しくなっているけど。

キハユニ51は普通客室と郵便室・荷物室の合造車。
ただし船木鉄道時代に荷物室などは撤去されていた。
それを1994年(平成6年)、復活させたそうだ。
下は郵便室から見た客室。

郵便室の中にある仕分け棚。
昔はここで手紙の仕分けをやっていたのだろう。

仕分け棚の後ろは荷物室?
運転席の横に座席があるけど。
実際は前後にあるデッキに荷物を載せていたはず。

国鉄の貨物列車の最後部に連結されていた車掌車、ヨ2047。
1937年(昭和12年)に製造された日本最古の車掌車だそうだ。
1981年(昭和56年)、加悦町が国鉄から展示用として借用。

車掌車の車内は簡単な座席とテーブル、ダルマストーブがあるだけ。
冬は車掌さんが自分でストーブに石炭をくべて暖を取ったのだろう。

1926年(大正15年)製造の2等・3等合造車、ハ10。
加悦鉄道オリジナルで、創業時の客車だ。
ただし発注したのは三重県の伊賀鉄道で、製造中に譲受したらしい。
1968年(昭和43年)廃車。

3等の車内。
天井は二重屋根で、明かり取りの細長い窓がある。

こちらは2等。
現在のグリーン車。
背ずりにクッションが付くのが3等との違い。

2等から3等を見たところ。
座席の色と背ずり以外、ほとんど違いがありません。
現役時代は2等と3等の間の仕切りがはずされていたそうだ。

1935年(昭和10年)に新造された車体を持つ小型客車、ハ21。
1893年(明治26年)製造のマッチ箱客車の下回りを利用して改造された。
同僚だったハ20からはずされた車体が、現在も残るハ4995。

ハ21の車内。
マッチ箱客車の居住性に比べれば格段の進歩だろう。

1916年(大正5年)に製造された木造客車、フハ2。
三重県の伊賀鉄道で活躍し、1927年(昭和2年)に加悦鉄道にやってきた。
デッキの上に設けられたアーチが特徴。
加悦鉄道での現役時代はハブ2と称していた。

フハ2に連結されているディーゼル機関車DB201は戦後製だけど、これも古い。
1953年(昭和28年)製造で、日本で製造された初期のディーゼル機関車だ。。
森製作所で製造されたので「森ブタ」の愛称がある。
下回りは蒸気機関車のものが再利用されているそうだ。

加悦鉄道のオリジナル車キハ101。
1936年(昭和11年)に加悦鉄道10周年を記念して製造された。
車輪が前2軸、後ろ1軸と非対称なのが特徴。
戦時中は木炭を燃料として走っていたそうだ。

まだまだ貴重な車両があります!
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