2009.9  



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■その3 ディーゼル機関車や除雪車など  【京都府】



その他の車両も紹介しましょう。
「その他」と言っても、貴重な車両であることは変わりなし。

まずはDC351ディーゼル機関車。
1956年(昭和31年)製造、青森県の南部鉄道で走っていた。
1967年(昭和42年)に加悦鉄道が譲受し、丹後山田駅から延びていた貨物専用線で使用され、加悦鉄道廃線と同時に廃車。
ちなみに南部鉄道は1968年(昭和43年)の十勝沖地震で運行ができなくなり、そのまま翌年に廃線となってしまった。







ぽっぽー

汽笛の鳴る方を見てみると、ターンテーブルを渡る列車が見えた!








KD−4ディーゼル機関車。
1956年(昭和31年)、加藤製作所で製造されたことから「カトーくん」の愛称がある。
最初は国鉄山陽本線万富駅にあるキリンビール専用線で活躍し、1971年(昭和46年)に岡山駅の日本専売公社側線に転属。
1976年(昭和51年)に廃車となり、岡山県のジーンズ工場で看板として使われていたのを1999年(平成11年)に加悦鉄道保存会が譲り受けた。
カトーくんの後ろは無蓋貨車ト404。
1923年(大正12年)製造、静岡県の遠州鉄道が保線資材運搬用として1999年(平成11年)まで使用していた。






DB202ディーゼル機関車。
1963年(昭和38年)製造、日本冶金が発注し、神奈川臨海鉄道の側線で使用。
1984年(昭和59年)廃車、1991年(平成3年)に加悦へやってきた。
その後ろは1926年(大正15年)製造の有蓋貨車ワブ3。







国鉄山陰本線で使用していた除雪車キ165。
1938年(昭和13年)、秋田県の国鉄土崎工場で製造された。
1981年(昭和56年)、加悦町が展示用として国鉄から借用。
機関車のように見えるけど動力装置は持たず、貨車の扱い。







キ165を後ろから見たところ。
屋根上のタンクは、機関車から送られてくる圧縮空気を溜めるもの。
この圧縮空気で側面に取り付けられた翼を広げ、前頭部で掻き分けた線路上の雪を更に脇と押し広げていた。
黄色のラインは65km/h以下の低速用、「福」の文字は福知山所属を表している。







キ165の車内。
手前が機械室、一段上がったところが操縦室。
青い座席の前に、ダルマストーブと煙突が見える。







1961年(昭和36年)製造の保線用車両TMC100。
このようにラッセルを先頭に取り付けて、除雪車としても使用した。







1956年(昭和31年)製造の元・国鉄キハ10 18ディーゼルカー。
車体軽量化のため断面積が小さく、内装はベニヤ板に塗装したしただけなど、居住性はあまりよくなかったらしい。
しかし日本でディーゼルカーが普及する基礎になった系列車で、同タイプの車両は700両以上が製造されている。
1980年(昭和55年)に加悦鉄道が1両譲受し、廃線まで主力として活躍した。







元・国鉄キハ08 3ディーゼルカー。
元々は大正時代に製造された木造客車ナハ22459。
これを1951年(昭和26年)に鋼体化改造(→オハ62 130)。
さらに1962年(昭和37年)に客車からディーゼルカーに改造(→キハ40 3)。
1966年(昭和41年)に現在の番号に改番。
このタイプは14両が改造されて北海道で活躍していたが、重たい上に非力、扱いにくいということで1971年(昭和46年)までに除籍されてしまった。
そのうちの1両を加悦鉄道が譲受、トイレ・洗面所を荷物室に改造の上で1972年(昭和47年)運転を開始した。
キハ10 18が入線するまでの主力だった。



ところでこのキハ08 3、車内に入れるはずだったんだけど・・・。
よく見ると、一旦外へ出てからでないといけないらしい。





外に出ると駐車場の反対側に電車が1両置かれているのに気付いた。
そばに行ってみると、それは元・京都市電。
それも1895年(明治28年)に日本初の電気鉄道として開通した路線の電車だ。
この電車自体は1910年(明治43年)頃に製造され、1961年(昭和36年)廃車。
宝塚ファミリーランドでの展示を経て加悦に来たそうだ。







車内に入ることはできないのでデッキからのぞきこむ。
2等・3等合造車のハ10と比べると、2等車なみの設備。







駐車場の横に2両の車両が置かれている。
これは車両を改造したカフェ・トレイン蒸気屋。
左は南海貴志川線(現在の和歌山電鉄)を走っていたモハ1202。
右は加悦鉄道で森ブタに牽かれて走っていたサハ3104。
このサハ3104、後で調べてみたら元々は東急東横線の電車!



サハ3104は1925年(大正14年)藤永田造船所でデハ100形として製造された。
東急東横線の前身、東京横浜電鉄が開業用に用意したが、竣工直後に目黒蒲田電鉄(後の東急目蒲線、現在の東急目黒線の一部と東急多摩川線)の電車と交換。
開通したばかりの東横線では走らず、1928年(昭和3年)に再度東京横浜電鉄へ譲渡され、ようやく本来の職場で働くことになった。
東急時代の最後は池上線で走り、1969年(昭和44年)に加悦鉄道へ。
しかし加悦鉄道で活躍できたのは僅か3年、1972年(昭和47年)廃車された。
現在は当時とまったく違う姿に改造されている。





その隣には対照的に現役時代とほぼ同じ姿の元・南海電鉄モハ1202。
1933年(昭和8年)に製造され、南海本線などで使用された。
1973年(昭和48年)に貴志川線に転属、1995年(平成7年)廃車となり、加悦へは休憩室用としてやってきた。
その後、南海貴志川線は廃止されて和歌山電鉄に。
「たま駅長」の活躍へと続いていくのである。







カフェ・トレイン蒸気屋の隣、ショップ蒸気屋へ。
ショップ蒸気屋は普通の建物で、お土産の他に軽食も売っている。
ここで食事を頼むと先ほどのキハ08 3の車内で食べることができるのだ。
うどんを注文し、いざ車内へ。







車内は一部の座席がはずされ、テーブルが取り付けられた。







中に入れないけど運転席ものぞいてみよう。
ここだけ新しいからなのか、客室と内装が全然違う。




そろそろバスの時間が・・・。
本数が少ないから1本のがすと大変なことに。
急いでうどんを食べて、加悦SL広場をお暇いたしましょう。

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