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関ヶ原ウォーランドに行こう
■その2 いよいよウォーランドに出陣 【岐阜県】
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☆史実にもとづいて関ヶ原の戦いを再現。
と、まじめそうなこと書いてるけど、ここは有名な珍スポット。
戦国武将の、しかもちょっと間の抜けたコンクリ像が並んでいるのだ。
それでは覚悟を決めて出陣じゃ!

園内に入ると、さっそく馬に乗った武将が。
「お主、西軍か? 東軍か?」

武将の追撃をかわし、園内を一気に突っ切った。
たどり着いたのは西軍の中心人物、石田三成の陣地。
「石田殿にお目通り願いたい!」

「なんじゃなんじゃ、この忙しいときに!」

いやー、怒られてしまいました。
今一番大事なところですからねぇ。
続いて別の陣地も行ってみよう。
おっ、小さな山の上に武将がいるぞ。

山の上に陣取っていたのは、肥後宇土20万石の小西行長。
戦に破れた後、捕らえられてしまう。
その後は六条河原で石田三成とともに斬首されてしまう。

小西隊のお隣は備前岡山57万石の宇喜多秀家。
戦に敗れた後は薩摩に逃れ、その後は八丈島に流刑された。
関ヶ原を戦った戦国武将では一番遅くに没したそうだ(83歳)。

で、宇喜多秀家はヤル気満々の様子だけど、陣地を守る兵が・・・。
左手で持つ槍に蔦がからまり、すぐに動けない状態に。
これでどうやって戦うというのだ!?

続いては松尾山の小早川秀秋の陣地へ。

西軍から東軍へ寝返り、関ヶ原の戦いの趨勢を決めた人物。
この2年後、21歳の若さで亡くなってしまう。
合戦当時19歳のはずだけど、裏切り者のイメージなのか老け顔のコンクリ像。

西軍へ攻め込もうかと緊迫の空気が流れるとき。
その空気に耐えられなくなったのか、隣に控える武将の手が動いた!
なぜここでスカートめくりを!

その小早川隊に攻められ自害する大谷吉継。
確か病気を患っていて、顔を頭巾で隠して戦ったはずだけど。
史実にもとづいていたんじゃなかったけ?

「ちょっと通るよ〜」

棒にぶら下げて運んでいるのは生首。
討ち取った首を主君の下へ運び、恩賞の査定とされるのだ。
生首を運んでいくのは徳川家康の陣地。
ここへ来る途中に陣地跡で見た、陣場野の床几場だ。

家臣が査定を記録してますね。

首実検をする徳川家康。
膨大な数の首を確認しなければいけなかったのだろう。
中には影武者の首もあっただろう。
1つ1つ確認して査定しなければならないなんて、ハードな仕事だ。

おーい、オレも首を1つ取ったぞーっ!
恩賞だぁー、恩賞をくれよーっ!

各陣地への挨拶回りはこれでおしまい。
次は合戦の中へ突撃じゃ!
→突撃する人はコチラへ
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