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加悦SL広場に行こう
■その1 蒸気機関車と明治時代の客車 【京都府】
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天橋立駅から北近畿タンゴ鉄道宮津線で西へ2駅目の野田川駅。
かつてこの野田川駅(当時は丹後山田駅)から小さなローカル私鉄が伸びていた。
その私鉄の名は加悦鉄道(全長5.7km)。
1926年(大正15年)に開通し、1985年(昭和60年)に廃止された。
この加悦鉄道は明治・大正時代の蒸気機関車や客車など、珍しい車両がある路線として有名だった。
終点の加悦駅構内には、廃車になった車両を展示する「加悦SL広場」があった。
加悦鉄道廃線後は貨物線の鉱山駅跡に加悦SL広場が移転し、現在も珍しい車両を見ることができる。
ただ難点は公共交通機関では行き難いこと。
近くを通る路線バスの本数が少ないらしいのだ。
とにかく時刻を調べねばとバスのホームページを見ると、この路線の始発は野田川駅ではなく、天橋立ケーブルカー府中駅近くの「傘松ケーブル下」。
なんだ、天橋立で時間調整して加悦に行けばいいんだな。

傘松ケーブル下から与謝行きに乗って50分、鉱山口で下車。

バスの車内からも左手に鉄道車両がチラリと見えていた。
そこに向かって歩き出す。

ここが加悦SL広場。
右側の建物は加悦駅の駅舎を復元したもの。
左側の車両は元・国鉄キハ10形ディーゼルカー。

入場料300円を支払い、改札口から駅構内へ!

ホームに展示されていたのは明治時代の客車、ハ4995。
1893年(明治26年)、鉄道省新橋工場で製造された。
1928年(昭和3年)、加悦鉄道に入線。
その当時は新製時のままであったのが、1935年(昭和10年)に車体を新しいものに載せ替え、古い車体は倉庫として使われることに。

時が流れ1970年(昭和45年)、倉庫だった車体が再び復活。
明治時代の「マッチ箱客車」が再現した。
この客車の特徴は車内に通路がないこと。
車体幅いっぱいに座席が設置され、その座席ごとに外開きの扉が付く。
日本で最初に開通した鉄道で使用した客車のスタイルだ。
そんな貴重な客車の車内へ自由に入れることも驚き。

ハ4995客車の前に連結されているのは2号蒸気機関車。
1873年(明治6年)イギリスのロバート・スティーブンソン社製。
翌年開通した関西初の鉄道である大阪〜神戸で運転を開始した(番号不明)。
1876年(明治9年)に12号と番号が変わり、1885年(明治18年)頃に新橋〜横浜の鉄道に転属(東海道本線全通はその4年後)。
1915年(大正4年)、鉄道院から島根県の簸上鉄道(現在のJR木次線)に払い下げられ2号と改番し、後の加悦鉄道開通時にそのままの番号で譲渡されてきた。

「陸蒸気(おかじょうき)」なんて呼ばれていた時代の貴重な蒸気機関車。
国の重要文化財にも指定されている。
こんな蒸気機関車の機関室に入れてしまうのもスゴイ。

ホームの反対側にある客車は修復作業中のハブ3。
この客車はなんとドイツからの輸入客車。
1889年(明治22年)製で、九州鉄道(現在のJR鹿児島本線など)が輸入した。
1907年(明治40年)に国有化され、1922年(大正11年)に三重県の伊賀鉄道に払い下げられたのを1927年(昭和2年)に加悦鉄道が譲り受けた。
貴重な明治時代の輸入客車ということで、大阪万博でも展示されたそうだ。

ハブ3客車の前は、1923年(大正12年)製の1261号蒸気機関車。
簸上鉄道が発注した機関車で、1934年(昭和9年)に国有化、1943年(昭和18年)、加悦鉄道が譲り受けた。

こちらは103号蒸気機関車。
1915年(大正4年)、山口県の長門鉄道の101号として製造された。
1942年(昭和17年)、下関の路面電車を走らせていた山陽電気軌道に統合され、1947年(昭和22年)、東洋レーヨン(東レ)滋賀工場から入換用となり、1964年(昭和39年)に廃車。
その後は宝塚ファミリーランドで展示され、2003年(平成15年)に同所が閉園されるたために加悦へやってきた。

並んで展示される大型の蒸気機関車。
当時の加悦町が国鉄から展示用として借用したそうだ。
右がC57形189号機、左はC58形380号機。
共に1946年(昭和21年)製の旅客用蒸気機関車だ。

さて、蒸気機関車を運転するには石炭をカマに投入して燃やさなければならない。
しかしこれが大変難しいらしい。
ただやみくもに石炭を入れれば良いという訳ではなく、カマの中で均一に火が燃えるようにしなければいけないそうだ。
その石炭投入の練習に使われたのがコレ。
実物と大きさが揃えられたこの台で、将来の機関士を目指した見習いさんが練習に励んだのだろう。

まだまだ貴重な車両が展示されています。
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