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台湾の小さな鉄道に乗ろうU
■その1 炭鉱のトロッコに乗車 【台湾】 |
台湾国鉄(台湾鉄路管理局)が初めて電化されたのが1970年代。
それよりもずいぶん前、日本統治時代から電気鉄道が存在していた!
台湾の炭鉱では電化されたトロッコが使われていたそうだ。
十分にある新平渓煤礦(炭鉱)にも電化されたトロッコが走っていた。
しかし1997年で閉山になったあとトロッコも放置されて荒廃。
その炭鉱が2002年に台灣煤礦博物館としてオープンし、トロッコも復活。
しかもトロッコに乗車できるようになっているとか。
ぜひトロッコに乗らねばと、平渓線の日本製ディーゼルカーで十分駅に向かった。

十分駅を降りたら商店街の真ん中を走る平渓線の線路に沿って歩く。

十分駅から約800m、廃墟となった選炭場とホッパーが見えてきた。
その手前にある山小屋風の建物が台灣煤礦博物館の受付。
使われなくなった小さな電気機関車も置いてある。
まずはここで入場料金NT$200をお支払い。

現在は草に埋もれているけど、かつてここに線路があり、十分駅につながっていた。
炭鉱から送られてきた石炭は左側の選炭場に集まり、そこから正面のホッパーで貨車へ積み込んでいたのだ。
そして石炭を積んだ貨車を十分駅まで運ぶのは機関車ではなく、女性。
数人の女性が貨車を押してホッパーと十分駅の間を往復していたそうだ。

ホッパーから数百m、山道を登っていくと翻車台という場所にでた。
これは石炭を積んだトロッコを丸い筒の中に押し込み、トロッコごと回転させて石炭を下に落とす装置なのだ。
翻車台の下にはベルトコンベアがあって、選炭場まで石炭を送っていた。

そして線路とご対面!
翻車台を通って1周するように線路が敷かれている。
その線路の上には背の低い架線柱。
草むらの中に架線柱が立つこの景色、埼玉県の安比奈駅跡のようだ。

雨の降る中、翻車台の周りを1人でウロウロ。
誰もいないし、聞こえるのは雨音だけ。
本当にトロッコは走っているのか不安になってきたとき、
ガチャガチャ、キュキュッ、ガチャガチャ・・・、
森の奥からトロッコがこちらへやってきた!

到着してすぐに入換え作業を始めた電気機関車。
1939年(昭和14年)日本輸送機製。
このユーモラスなお顔から「一つ目小僧(台湾名:獨眼小僧)」の愛称がある。
それと機関車の側面に「ニチユ」とカタカナで書かれたマークがステキだ!
日本輸送機はバッテリー式フォークリフト製造の老舗であり、鉱山など構内作業の機関車の製造も行っているそうだ。

石炭を運んでいた当時は頭上の架線から電気を受けて走った電気機関車だったが、現在は架線がはずされ、代わりにバッテリーを積んで走っている。
そして運転士さんは編み笠をかぶったおばさん。
しかも運転台が狭いので箱乗り状態。
乗客が私一人だけの客車は石炭を積んでいたトロッコを改造したもの。

翻車台から約10分で炭鉱跡に作られた台灣煤礦博物館に到着。
ちなみに乗り心地は「脱線しないよね?」という感じのものでございました。

使用されなくなった機関車やトロッコが並ぶ広場。
雨が降っていなければじっくり見ておきたかった。

ここが炭鉱の入口。
1200mほど平らなトンネルが続き、途中で分かれたたくさんの斜坑で採鉱した。
現在は中を見学することができないけど、将来的には中に入って見学できるように再整備する計画があるそうだ。

その代わり、現在は炭鉱の模擬施設で当時の様子を再現しています。
ここで掘り出された石炭はトロッコと平渓線、そして西部幹線を通って桃園駅へ。
そこから現在は桃林鉄路の列車も走る林口線を通って林口火力発電所へ運ばれた。

別の建物にあった車体だけの電気機関車。
これが原型らしい。
さっき乗ってきたトロッコの機関車はボンネットの上にバッテリーを積んだために一回り大きくなってる。

「この機関車は70歳です。」
日本語で話しかけてきたおじさんがいた。
石炭の掘り方や当時のことなど、親切に色々と教えていただいた。
例えば、ヤマの中は男の仕事で、外は女の仕事と決まっていたそうだ。
だから機関車を運転していたのがおばさんだったのか。
※帰国後、そのおじさんが館長さんであったことを知りました(汗)
さて、再びトロッコに乗って十分駅に帰ろう。
トロッコからの景色を動画に撮ったのでご覧ください。
次は台湾中部の烏樹林で小さなSL列車に乗ろう。
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